人生において最も長い時間を過ごす職場を人生最高の場所にするには
経営者や人事担当者など周りの人たちが想像する、労働者の心の内は、ほとんど外れ
ています。
セクハラの被害者が何を考えているか?
周りの人たちは想像もできないでしょう。
あるセクハラ事例です。
ています。
セクハラの被害者が何を考えているか?
周りの人たちは想像もできないでしょう。
あるセクハラ事例です。
あるセクハラ被害者の心の内
彼女は先輩にあたる、同僚男性社員からセクハラと感じる行為を日常的にされていました。
その一つに、男性社員が、自身の休日のときも何かと理由をつけて職場に来て、彼女に会いに来るのです。そこは少人数の職場で、男性社員がいないと職場は回らないと彼女は感じていました。
そこで彼女が取った行動は、自分の出勤日を減らして、男性社員と会う機会も減らせば、すべてが丸く収まるのではないかという方法。彼女はダブルワークでほかのアルバイトを入れて、その職場の勤務日数を減らしました。
ところが、男性社員のセクハラ行為はなくならず、彼女は職場の上長に初めてセクハラのことを相談しました。
上長からは、「彼はああいう人だから仕方ない」と言われ、有効な対策をしませんでした。そして上長の態度は、保身に走っているように見えました。
男性社員は、「ここは女の子とただで喋れる、キャバクラみたいなもんや」と吹聴してました。そのころから、彼女にとって出勤するのが楽しくて仕方なかった職場が、行くのがつらい職場になり、心を病んでしまい働けなくなってしまいました。
その一つに、男性社員が、自身の休日のときも何かと理由をつけて職場に来て、彼女に会いに来るのです。そこは少人数の職場で、男性社員がいないと職場は回らないと彼女は感じていました。
そこで彼女が取った行動は、自分の出勤日を減らして、男性社員と会う機会も減らせば、すべてが丸く収まるのではないかという方法。彼女はダブルワークでほかのアルバイトを入れて、その職場の勤務日数を減らしました。
ところが、男性社員のセクハラ行為はなくならず、彼女は職場の上長に初めてセクハラのことを相談しました。
上長からは、「彼はああいう人だから仕方ない」と言われ、有効な対策をしませんでした。そして上長の態度は、保身に走っているように見えました。
男性社員は、「ここは女の子とただで喋れる、キャバクラみたいなもんや」と吹聴してました。そのころから、彼女にとって出勤するのが楽しくて仕方なかった職場が、行くのがつらい職場になり、心を病んでしまい働けなくなってしまいました。
会社側に映っていた彼女の姿勢
これが会社側にはどう映っていたか?
理由はわからないが、勤務日数を減らしたいと彼女から申し出があった。ほかでアルバイトも始めたようだし、当社で働く気が失せてきたのかな?
何だか欠勤や遅刻早退も多くなってきたようだ。好ましくない。辞めてもらうしかないか。会社側には、彼女に上に載せたような心の内があるとは想像もできず、ただの勤務怠慢社員と映っているのです。職場を愛していて、職場のためを思って彼女が行動したことは、会社に伝わらなかったのです。
理由はわからないが、勤務日数を減らしたいと彼女から申し出があった。ほかでアルバイトも始めたようだし、当社で働く気が失せてきたのかな?
何だか欠勤や遅刻早退も多くなってきたようだ。好ましくない。辞めてもらうしかないか。会社側には、彼女に上に載せたような心の内があるとは想像もできず、ただの勤務怠慢社員と映っているのです。職場を愛していて、職場のためを思って彼女が行動したことは、会社に伝わらなかったのです。
被害者と加害者それぞれの物語
では彼女は一方的に被害者で、「加害者」である男性社員に対して、懲戒処分をすればいいかというと、それでは問題の根本解決にはなりません。
まずここで考えなければいけないのは、上の物語は、彼女から見た物語だということです。彼女がセクハラに苦しんで、心を病んでしまい、職場に行くことができなくなったのは事実です。
しかし、同僚男性社員が、悪意を持ってセクハラをしたというわけではないのです。
彼女が上長の対応にがっかりして、上長は保身に走っているように見えたのは事実です。しかし、上長が意図的にいい加減な対応をしようと思い、自分を守ろうとしたということではないのです。同僚男性には同僚男性の、上長には上長の物語があるのです。
本当はその物語をしっかり聞いてあげることが大切。それが結果的には、彼女の物語を理解してあげることにもつながるのです。
まずここで考えなければいけないのは、上の物語は、彼女から見た物語だということです。彼女がセクハラに苦しんで、心を病んでしまい、職場に行くことができなくなったのは事実です。
しかし、同僚男性社員が、悪意を持ってセクハラをしたというわけではないのです。
彼女が上長の対応にがっかりして、上長は保身に走っているように見えたのは事実です。しかし、上長が意図的にいい加減な対応をしようと思い、自分を守ろうとしたということではないのです。同僚男性には同僚男性の、上長には上長の物語があるのです。
本当はその物語をしっかり聞いてあげることが大切。それが結果的には、彼女の物語を理解してあげることにもつながるのです。
加害者を安易に処分すると被害者は不幸になる
これまで多くの会社で、今回のようなケースで、安易に加害労働者を処分した例を被害労働者の支援という観点で見てきました。
このようなケースで、被害労働者が幸せになった例を見たことがありません。処分された「加害」労働者には不満が残ります。本人からすると、意図的にセクハラをしたつもりはないのに、その言動や行動がセクハラに該当するからという理由で処分されて、場合によっては職場を異動になってしまいます。
その不満は、異動先の職場で吐き出されて、言動や行動に表れます。そしてそれは被害労働者にも伝わってきます。
それを聞いた被害労働者は、会社担当者に「彼は全然反省していない。心から反省するように指導してほしい」と言います。会社担当者としては、彼女の言う通りに加害労働者を処分したのに、そのことに不満を持つ被害労働者の態度に戸惑います。
そして会社担当者は、そのことを加害労働者に伝えますが、それは加害労働者がますます毒づく要因になるだけです。
それに対して被害労働者は、聞こえて来る噂話をもとに、「彼はこんなことを言ってる。何とかしてほしい」と再度会社担当者に申し入れます。
そのころから会社担当者は、やりようのない要求を言ってくる被害労働者に対して、「面倒な社員だ」と思うようになります。その態度は被害労働者にも伝わり、「自分は被害者なのに、何で問題社員扱いされなければいけないんだ?」と会社に不満を持つようになります。
しかしその不満は晴らされることはなく、被害労働者のストレスはどんどん溜まり、多くのケースで精神の病いのような状態になってしまいます。
このようなケースで、被害労働者が幸せになった例を見たことがありません。処分された「加害」労働者には不満が残ります。本人からすると、意図的にセクハラをしたつもりはないのに、その言動や行動がセクハラに該当するからという理由で処分されて、場合によっては職場を異動になってしまいます。
その不満は、異動先の職場で吐き出されて、言動や行動に表れます。そしてそれは被害労働者にも伝わってきます。
それを聞いた被害労働者は、会社担当者に「彼は全然反省していない。心から反省するように指導してほしい」と言います。会社担当者としては、彼女の言う通りに加害労働者を処分したのに、そのことに不満を持つ被害労働者の態度に戸惑います。
そして会社担当者は、そのことを加害労働者に伝えますが、それは加害労働者がますます毒づく要因になるだけです。
それに対して被害労働者は、聞こえて来る噂話をもとに、「彼はこんなことを言ってる。何とかしてほしい」と再度会社担当者に申し入れます。
そのころから会社担当者は、やりようのない要求を言ってくる被害労働者に対して、「面倒な社員だ」と思うようになります。その態度は被害労働者にも伝わり、「自分は被害者なのに、何で問題社員扱いされなければいけないんだ?」と会社に不満を持つようになります。
しかしその不満は晴らされることはなく、被害労働者のストレスはどんどん溜まり、多くのケースで精神の病いのような状態になってしまいます。
加害労働者を処分しないでください
私は上記のような事例を数多く見てきたので、まだ加害労働者を処分していない状態で、被害労働者から相談を受けたケースでは、「加害労働者を処分しないでください」と会社側に申し入れました。
そのことにより、被害労働者と加害労働者が対話する機会が、消滅せずに続けられることになったのです。
そのことにより、被害労働者と加害労働者が対話する機会が、消滅せずに続けられることになったのです。
セクハラに見えないLINEのやり取り
今はLINEのやり取りがそのまま文字で残るので、多くのセクハラされたという相談を受けた段階で、加害労働者と被害労働者のLINEのやり取りを見せていただきます。
これまで見せていただいたLINEのほとんどは、パッと見てセクハラとは見えないものです。一見仲のいい2人に見えます。
中には、被害労働者から加害労働者に対して、食事に誘っているものもあれば、被害労働者が加害労働者を「好きです」と言ってるケースもあります。
なぜこのような態度を取ったのかを、被害労働者に聞いてみたところ、それぞれ次の答えでした。食事に誘ったのは、被害労働者が自分から誘わないと、毎日待ち伏せされて、毎日食事に誘われるからだそうです。
自ら前もって誘うことにより、週に1回食事を一緒にするだけで済むし、事情を知っている別の女性にも食事に参加してもらって、加害労働者と2人きりで食べることを避けられるからという答えでした。
相手のことを「好きだ」と言った被害労働者は、相手のことを自分が好きだと思い込んでいるので、そう言わないと、会社に居られないと思ったそうです。
私は2つのケースともに、加害労働者と言われる男性と話しをしましたが、被害労働者からの「好意」をそのまま受け取っていて、自分がセクハラをしていた意識はまったくなかったということでした。
これまで見せていただいたLINEのほとんどは、パッと見てセクハラとは見えないものです。一見仲のいい2人に見えます。
中には、被害労働者から加害労働者に対して、食事に誘っているものもあれば、被害労働者が加害労働者を「好きです」と言ってるケースもあります。
なぜこのような態度を取ったのかを、被害労働者に聞いてみたところ、それぞれ次の答えでした。食事に誘ったのは、被害労働者が自分から誘わないと、毎日待ち伏せされて、毎日食事に誘われるからだそうです。
自ら前もって誘うことにより、週に1回食事を一緒にするだけで済むし、事情を知っている別の女性にも食事に参加してもらって、加害労働者と2人きりで食べることを避けられるからという答えでした。
相手のことを「好きだ」と言った被害労働者は、相手のことを自分が好きだと思い込んでいるので、そう言わないと、会社に居られないと思ったそうです。
私は2つのケースともに、加害労働者と言われる男性と話しをしましたが、被害労働者からの「好意」をそのまま受け取っていて、自分がセクハラをしていた意識はまったくなかったということでした。
労働問題は感情の問題で、上司と部下の行き違いが原因
私が一番多く扱ったのは解雇です。これも双方の行き違いが多いです。立場の違いにより同じ場面を見ても、感じ方が違うのです。
そこで双方ともに自分の感じ方を「正しい」と思い、相手の感じ方を「間違っている」と思うところから、感情的なぶつかり合いになります。上のセクハラの例でも同じですが、多くの部下は上司に対して本音で話すことができていません。上司の機嫌を損ねたら、この職場でやっていけないと思っていて、多くの場面で我慢をしています。そしてそのことに、ほとんどの上司は気づいていません。
ある統計でも出ていましたが、上司の8割は部下が自分の前で本音で話しができていると答えたのに対して、部下の8割が、上司の前では本音を出せないと答えています。そして部下は退職するときになって初めて本音を出すことができます。多くのケースで、それは大きな怒りとなって、会社側に吐き出されます。
「従順」な部下に、牙を剥かれた上司は戸惑います。形は違いますが、退職代行も同じです。私が「○○さんが退職したいと言っています」と会社に電話すると、応対した人は、なぜ本人が言ってこないのだろう?と、本音が言えない関係と見られていたことに驚きます。
労働問題は、法律問題だと思われているかもしれませんが、実は感情の問題なのです。極端な話、労働基準法違反を犯す職場であっても、従業員を大切にする職場であれば訴えられることはないのです。逆に必死に法律を守ろうとしても、1人の意地悪な上司がいるおかげで、退職した従業員は会社を訴えようと思います。
そしてその理由として法律違反や、ハラスメントによって精神的ダメージを受けたと言うことを後づけします。本当に労働者が言いたいことは、自分の尊厳が傷つけられたと言うことをわかってほしいと言うことなのです。
そこで双方ともに自分の感じ方を「正しい」と思い、相手の感じ方を「間違っている」と思うところから、感情的なぶつかり合いになります。上のセクハラの例でも同じですが、多くの部下は上司に対して本音で話すことができていません。上司の機嫌を損ねたら、この職場でやっていけないと思っていて、多くの場面で我慢をしています。そしてそのことに、ほとんどの上司は気づいていません。
ある統計でも出ていましたが、上司の8割は部下が自分の前で本音で話しができていると答えたのに対して、部下の8割が、上司の前では本音を出せないと答えています。そして部下は退職するときになって初めて本音を出すことができます。多くのケースで、それは大きな怒りとなって、会社側に吐き出されます。
「従順」な部下に、牙を剥かれた上司は戸惑います。形は違いますが、退職代行も同じです。私が「○○さんが退職したいと言っています」と会社に電話すると、応対した人は、なぜ本人が言ってこないのだろう?と、本音が言えない関係と見られていたことに驚きます。
労働問題は、法律問題だと思われているかもしれませんが、実は感情の問題なのです。極端な話、労働基準法違反を犯す職場であっても、従業員を大切にする職場であれば訴えられることはないのです。逆に必死に法律を守ろうとしても、1人の意地悪な上司がいるおかげで、退職した従業員は会社を訴えようと思います。
そしてその理由として法律違反や、ハラスメントによって精神的ダメージを受けたと言うことを後づけします。本当に労働者が言いたいことは、自分の尊厳が傷つけられたと言うことをわかってほしいと言うことなのです。
行き違いを善悪の問題に分けるから拗れる
労働問題が拗れる要因として、行き違いだったものを、善悪の問題に分けてしまうことがあると感じています。本来我々がやるべきことは、双方の通訳をして、行き違いの原因を明らかにすることであって、どちらかまたは双方を悪者にして、対立構造をつくることではありません。
ところが多くのケースで、専門家とされる人が関わることで、行き違いだったものが、対立構造に変わってしまっています。それは私たち社労士であったり、弁護士であったりします。
win-winの考えを知る前の私もそうでした。ありもしない「問題」を専門家がつくり出しているのです。片方が弁護士をつけたら、相手側は身構えて、自分もそうするしかないかと思ってしまいます。
会社側が弁護士の指導のもとに、裁判を想定して守りの姿勢になると、それは労働者側には非人間的対応に映り、会社を訴える理由を与えることになります。
上司と部下との間に諍いが起こったときに、会社側が社労士の承認を得て、片方を懲戒処分に課してしまうと、そこで行き違いの解消のための対話は途絶えてしまい、不満と恨みが残る対立構造になってしまいます。やるべきことは、ジャッジメントして処分することではなく、対話を継続することなのです。
ところが多くのケースで、専門家とされる人が関わることで、行き違いだったものが、対立構造に変わってしまっています。それは私たち社労士であったり、弁護士であったりします。
win-winの考えを知る前の私もそうでした。ありもしない「問題」を専門家がつくり出しているのです。片方が弁護士をつけたら、相手側は身構えて、自分もそうするしかないかと思ってしまいます。
会社側が弁護士の指導のもとに、裁判を想定して守りの姿勢になると、それは労働者側には非人間的対応に映り、会社を訴える理由を与えることになります。
上司と部下との間に諍いが起こったときに、会社側が社労士の承認を得て、片方を懲戒処分に課してしまうと、そこで行き違いの解消のための対話は途絶えてしまい、不満と恨みが残る対立構造になってしまいます。やるべきことは、ジャッジメントして処分することではなく、対話を継続することなのです。
非暴力コミュニケーション・修復的正義に基く労務管理とは
無敵の労務管理と呼んでいる、村上が実践しているやり方は次です。
ユニオン執行委員をやる際には、通常は「敵」と思われる会社側の話を聞き、会社側の味方をしてあげることで、会社側と友達のような関係になることを実際に行っています。敵は居ないということで、無敵の労務管理と名付けました。
結果的にその方が、労働者の主張を聞いてくれて、労働者のためを思った解決策で合意することに繋がるのです。
ダイアローグ1stでは、いつ何時でも、敵をつくらない労務管理を実践していきます。例えば、従業員からハラスメントの訴えがあったときに、一般的には国の定めたハラスメント規定に照らして、ハラスメントかどうかをジャッジメントすることが行われていると思いますが、私たちはそういうことは基本的にはしません。
ハラスメントがどうかをジャッジメントすること自体が、対立を産む事につながり、暴力的コミュニケーションであると考えています。多くの社労士がよく指導しているような、就業規則に照らして処分することは、上のセクハラの例でも紹介したように、人と人とを分断することになります。
常識にとらわれずに、常に「今やろうとしていることは、人と人がつながることに結びついているだろうか?」「豊かな人生に繋がっているだろうか?」という視点で考えます。
それが、人生で最も長い時間を過ごす職場を、人生における最高の場所にすることにつながるのではないかと考えています。
ユニオン執行委員をやる際には、通常は「敵」と思われる会社側の話を聞き、会社側の味方をしてあげることで、会社側と友達のような関係になることを実際に行っています。敵は居ないということで、無敵の労務管理と名付けました。
結果的にその方が、労働者の主張を聞いてくれて、労働者のためを思った解決策で合意することに繋がるのです。
ダイアローグ1stでは、いつ何時でも、敵をつくらない労務管理を実践していきます。例えば、従業員からハラスメントの訴えがあったときに、一般的には国の定めたハラスメント規定に照らして、ハラスメントかどうかをジャッジメントすることが行われていると思いますが、私たちはそういうことは基本的にはしません。
ハラスメントがどうかをジャッジメントすること自体が、対立を産む事につながり、暴力的コミュニケーションであると考えています。多くの社労士がよく指導しているような、就業規則に照らして処分することは、上のセクハラの例でも紹介したように、人と人とを分断することになります。
常識にとらわれずに、常に「今やろうとしていることは、人と人がつながることに結びついているだろうか?」「豊かな人生に繋がっているだろうか?」という視点で考えます。
それが、人生で最も長い時間を過ごす職場を、人生における最高の場所にすることにつながるのではないかと考えています。